東京高等裁判所 昭和25年(行ナ)11号 判決
原告 井原長吉
被告 特許庁長官
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告は特許庁が昭和二十四年抗告審判第二〇五号事件について、昭和二十五年五月十一日に為した審決はこれを取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として次の通り陳述した。
(一) 原告は「反ピペツト式万年筆」(後に「空気吸込によるインキ吸込式万年筆」と訂正する)を考案し、昭和二十三年二月二十三日実用新案登録出願(昭和二十三年実用新案登録願第二三三六号)をしたが、昭和二十四年六月八日拒絶査定を受けたので、同年七月七日抗告審判請求(昭和二十四年抗告審判第二〇五号)をした。抗告審判では同年九月十五日出願公告の決定あり、同年十二月二十三日公告せられ同日より二ケ月間の出願公告中異議申立がなかつたのに拘らず同二十五年三月二十二日新たな拒絶の理由を通知され、これに対して上申書を提出したが、同年五月十一日本件抗告審判の請求は成り立たないとの審決があり、同月二十三日その謄本の送達を受けた。原告はこれに不服であるから本訴に及んだものである。
(二) 審判の不当な理由
(イ) 本件出願の考案要旨は「一端を閉塞したインキ溜ゴム嚢の開口端をペン芯筒の内端に密着し、細孔を通じてゴム嚢の内腔を外部と連通せしめた万年筆に於て、軸筒の後端に小孔を穿ちて外部と連通せしめる以外は軸筒内を完全なる気密筒体となしたる空気吹込によるインキ吸込式万年筆の構造」にあつて、小孔から空気を吹込んでインキを吸入するものである。
(ロ) 原審決に引用された実用新案公告第五一三八号公報に記載された万年筆は、軸後端にスポイトを嵌着しこれを指頭にて圧潰して軸内の空気圧力を高め、軸内にあるインキ溜用のゴム嚢を圧潰し、次にスポイトより指頭を放してこれを原形に復さしめば、スポイトの吸引力とゴム嚢の弾力とにて圧潰したゴム嚢を膨脹させ、ゴム嚢内にインキを吸入するものである。
(ハ) 以上二つを比較すれば、前者はインキ吸入に際してスポイトを使用せず只直接口で空気を吹込むだけで軸内の空気圧を高めゴム嚢を圧潰し、口を離して吹込を中止すればゴム嚢は自身の弾力で原形に復し、インキを吸入する。然るに後者はスポイトを嵌着することが必要条件で、常時これを携帯せねばインキ吸入の方法がない。要するに後者には「口で吹いてインキがはいる」という着想は絶対にない。又スポイトを使用する為後者ではゴム嚢自身の弾力とスポイトの吸引力とが一緒に作用する結果、インキ吸入し過ぎスポイトを軸から取去るときインキがペン先から幾分滴下する欠点がある。以上のように本件出願のものは原審決引用のものとは全く構造を異にするものである。
(ニ) なお、被告は答弁として、原審決に引用したのは実用新案公告第五一三八号公報中登録請求の範囲に記載された考案要旨を指すものでないと述べているが、右公報に示された万年筆はスポイトを使用してインキ吸入を行うもので、これを被告のいうようにスポイトを使用しない万年筆とすれば、右実用新案は公知のものとなりその登録された意義を全くなくしてしまうことになる、と主張している。(証拠省略)
被告代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、次の通り答弁した。
本件審決は実用新案公告第五一三八号公報(乙第一号証)中に「チユーブの口端をペン先保持子の後端に完着し、該チユーブ内のインキをペン先に供給するようにし、保持子と軸管の頭部に嵌着し、チユーブを軸管内に収蔵せしめ、更に軸管の後端に通気孔を穿設してこれから空気を軸管内に送入してチユーブを挾擦するようにしたチユーブ式万年筆の構造」が、容易に実施することができる程度において記載されていて、右の構造が本件出願の考案要旨とする構造と類似しているという事実を理由としたものである。
しかるに、原告はこれを誤解し、前記公報に掲載された実用新案の考案要旨と本件出願の考案要旨とを比較して種々主張しているので、原告の主張は理由のないものである。(証拠省略)
三、理 由
原告主張の請求原因(一)については、被告において明かに争はないから、これを自白したものと看做すべきである。よつて原告が本件審決を不当なりとして主張する理由について審按するに本件出願の考案要旨は「一端を閉塞したインキ溜ゴム嚢(2)の開口端をペン芯筒(5)の内端に密着し芯筒(5)内を貫通した細孔(6)及び(7)を通じてゴム嚢(2)の内腔を外部と連通させた万年筆において軸筒(1)の後端に小孔(9)を穿ちこの小孔(9)で外部に連通させた以外は軸筒(1)を完全な気密筒体とした空気吹込によるインキ吸込式万年筆の構造」にあることは、原告主張の全趣旨に徴して明かである。
而して、原本の存在並びにその成立に争のない乙第一号証によれば、実用新案公告第五一三八号公報(原審決引用)は、本件出願日前である大正二年二月十日特許局発行に係るもので、右公報には『一端を閉塞したインキ溜ゴム嚢(チユーブ)の開口端をペン芯筒(ペン先保持子)の内端に密着し、ペン芯筒を貫通した細孔を通じてゴム嚢内腔をペン先即ち外部に連通させ、又軸筒(軸管)の後端に小孔(通気孔)を穿ちこの小孔で外部に連通され、これから送入する空気でゴム嚢を扁平に圧擦し得るようにした空気送入によるインキ吸込式万年筆の構造』を容易に実施し得る程度に記載している。尚右の記載には特に明記していないが、軸筒後端の小孔からの空気の送入によつて軸筒内のゴム嚢を圧擦できる点から見て、軸筒は右小孔以外には外部に連通する箇所がなく気密筒体に作られているものと認められる。
よつて、本件出願のものと引用記載例とを比較してみる。
前二項に掲げた二つの万年筆は、その説明した構造によつて明かなように、本件出願のものの考案要旨とする構造は、全部乙第一号証公報に記載された構造中に包含されていて、両者は全く同一構造のものである。従つて、本件出願に係る考案は、実用新案法第三条第二号に該当し、新規の考案と称することができないものであつて、同法第一条に規定する登録要件を具備しないものである。
尚原告は前記実用新案公告第五一三八号公報(乙第一号証)の万年筆では、軸筒の後端小孔から空気を送入するのにスポイトを使用する必要があると説明しているので、常にスポイトを携帯していなければインキを吸入することが不可能である。然るに本件出願に係るものはスポイトは不用であつて、軸筒の後端を口に含んで空気を吹込むものであるから、前記公報記載のものにない実用価値のあるものであり、それとは全く構造の異なるものであると主張している。
しかし、乙第一号証公報の図面及び説明によれば、この万年筆にインキを吸入する際には、別に用意したスポイト付套管を軸筒の後端に嵌めスポイトを圧潰して空気を軸内に送入しゴム嚢を圧擦するようにしたものであり、従来この種の万年筆で種々の方法によつて空気を送入したがそれ等には何れも欠点があり、その点の改良としてスポイト付套管を使用するようにしたことが右実用新案の新規の点であるとのべてあるが、右公報を実用新案法第三条第二号の刊行物として見るときは、その記載中に前記のような構造の万年筆が容易に実施し得る程度に掲載されてあることに間違なく、又『口で吹く』ということは使用方法の問題であつて、実用新案法第一条に規定する物品の形状、構造又は組合はせの何れでもなく、所謂型に係る考案ではないから、原告の右の主張は採用することができない。
従つて、本件抗告審判の審決は正当で、これが取消を求める本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条第九十五条の各規定を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 中島登喜治 小堀保 薄根正男)